↑松野氏が撮影したVC-137/62-7000。1989年月29日昭和天皇の大喪の礼で来日したジョージ・ブッシュ大統領(父ブッシュ)座乗のエアフォース・ワン。松野氏は、川崎の浮島公園から撮影されたそうです。因みに私は見たこともないです。この機体は、1972年から使用を開始して、現在はドナルド・レーガン大統領の記念館に展示されているそうです。
↑ これも400mmでの失敗例であるが、嘉手納基地のサンパウロの丘でF-4C/Dを撮っていた時、突然舞い降りたC-135B(62-4126)に対応できず、レンズ交換なしで撮影したため、綺麗な全体像を撮り損ねた。62-4126は1962年VC-135Bとして運用が始まり、1977年にカーター政権時代にC-135Bに改められた。後にRC-135Wに改造され、2022年時点で未だ現役で活躍している。
1976年春頃だったと記憶するが、初めて買った一眼レフカメラとシグマの400mmレンズをアルミバックに詰めて横田基地に赴いた。初めて行く横田基地は、私の住んでいた千葉からはかなり遠い場所で、当時も電車でゆうに二時間半は掛かる基地だった。しかし、愛読していた航空専門誌で刺激されて、どうしても米軍機を撮ってみたいと思う気持ちと冒険心にも押されて、全く地理感もない所に赴く事にした。牛浜か東福生かは忘れたが、駅を降りた私は、地図を頼りに基地周辺の国道16号線を歩き、偶然横田ドライブインに辿り着いた。うっすらとガスのかかる天気でしかも平日だった為、ドライブインの屋上は数人しか居なかったが、直ぐによく此処に撮影に来ると言うマニアらしき人から色々と教えを乞う事になる。私が持っていたのは、50mmの標準レンズと400mmの超望遠レンズの2本だけである。その頃航空機撮影の標準レンズと言えば200~300mm。そんな常識も知らず横田基地に来てしまったのである。そして素人丸出しに三脚に400mm付けて覗く横田基地は、輸送機がずらりと並ぶ壮観な風景に興奮しながらネガカラーで数枚撮った。その時初めて私の目の前にR/W36で降りて来た白い4発エンジンの機体がC-135だった。上下色違いの優雅な衣装をまとったこのC-135は数時間横田基地に駐機し、風が変わってR/W18で横田ドライブインの前を転がった。400mmレンズではどうしても大きすぎて、機体の部分写真しか撮れず苦しい。そんな思いから航空機を撮影始めたばかりに私は、ショートズームを買う必要性に駆られたのである。しかし貧乏学生はアルバイトでもしない限りレンズを買うゆとりはない。結局安いズームレンズを買ったのも半年後となった。
↑ 全身を白い衣装で纏った貴婦人のようなC-135C / 61-2669。ベルギーのブリュッセルで撮影されたもの。この機体もWC-135Bから再改装で要人輸送機に戻された機体である。この白い貴婦人・・WB時代だけでなく、1980年代に横田基地に何度も飛来しているので、マニアにも有名な航空機だった。
↑ 1990年3月横田基地に着陸するVC-135B / 62-4130。松野氏の撮影である。メリーランド州アンドリュース空軍基地をベースとした8th MAWの所属で、この機体もRC-135Wに大幅改造された(62-4125/62-4127/62-4130)の3機の内の1機である。
↑ 1990年6月、松野氏が横田基地で撮影されたC-135C/61-2668。この機体は、C-135BからWC-135Bに改造された後に、再び要人輸送用のC-135Cに戻された。
↑ 1988年8月横田基地に着陸するC-135B / 62-4127。松野氏の撮影である。1962年にロールアウトしたこの機体も数々の変遷を経て現在も使われている。1967年にVC-135B、1977年にC-135Bと名前を変え、1997年に大きな改造を受けてRC-135W"Rivet joint"として運用された、現在は、訓練用のTC-135Wとして活動している。
↑ 離陸するC-135C(61-2671)。持参したネガカラーが無くなって、富士フィルム製の白黒フィルムネオパンSSで離陸を撮る。現像はその頃自宅付近の写真屋にお任せであったが、現像むらも酷く、後にフィルム現像から焼き付けまで自分で行うようになった。
横田基地に飛来したC-135C(61-2671)。1962年にC-135Bとして製造されロールアウト。トラビス空軍基地を本拠地とする第1501航空団に所属した。1965年WC-135Bに改造され、第56飛翔偵察飛行隊に配属、横田基地にも飛来している。1974年に更にC-135C型に再改造され、ハワイの第15航空基地航空団に配属され、直ぐに第89軍用空輸航空団に移管されている。機体は、後に青く塗られた。現在は、ティンカー空軍基地のゲートガードとして展示されているそうだ。
アメリカ大統領が移動に飛行機を使うと言うのは、Uボートが出没する海域で船舶での移動が非常に危険だった頃に始まった。カサブランカの会議に出席する為、1943年フランクリン・ルーズベルトがボーイング社の314デキシークリッパーと言う大型飛行艇を使ったのが発端とされる。このボーイング314クリッパーは、4発の飛行艇で航空会社のパンナム航空が、1939年から1945年までアメリカ西海岸~ハワイ路線で使っていた旅客飛行艇でもあった。機内には寝台、ラウンジ、豪華な洗面などが用意され、ソファは、夜はベットにできるよう設計された豪華な旅客機で、機体後部にはデラックス・スィートルームが設置され、大統領は恐らくその部分を利用したと思われる。
 その次に本格的に大統領専用機として造られたのが、フランクリン・ルーズベルト時代のVC-54Cスカイマスター。「空飛ぶホワイトハウス」と呼ばれたこのVC-54Cは、空軍司令官アーノルド将軍によって、大統領専用機として特別に作られた最初の機であった。ルーズベルトが車椅子に座ったまま載れるように、小型のEVが付いていたそうで、今でも空軍博物館に展示されている。
 そして、松野氏が撮影されたVC-137が二代目の大統領専用機で、ケネディー大統領時代の1962年から就役し、世界中を移動することになる。当初この機体は、機首上下と尾翼、そして翼端が赤く塗られた空軍機だったが、ケネディ夫妻の要望で青色系統の現在のデザインにされた。ケネディがダラスで暗殺された後、彼の棺を乗せてワシントンに換える際も、VC-137/62-6000が使われ、この機内で副大統領だったリンドン・ジョンソンは大統領就任宣言を行っている。
89th MAW
↑ 撮影時には知識もないせいで気にもしていなかったが、機首にはアメリカ建国200周年のバイセンマークがあり、乗降扉脇には、オーストラリア関連のプレートが掲げてあることから、オーストラリア空軍の関係者が乗っていたようである。
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Wings
↑ こちらも松野氏撮影のVC-137/62-6000。上のエアフォース・ワンの予備機として飛来したもので、コールサインは、”SAM26000"。浮島公園から300mmレンズで撮影。アメリカ空軍が1962年に本機を導入後、エアフォース・ワンとして使用されることが多かった機体だそうだ。今は空軍博物館に展示されている。(松野氏解説)